会話 #6

「どれだけ多くのことに取り組めるか」

 

これが、土日の過ごし方のテーマとなる。

 

 

土日は朝からボクシングが自分のルーティンとなっている、今日も例外ではない。

程よく疲労感を覚えるくらい追い込み、朝から汗を流す心地よさを感じながら帰宅。ここから僕のマルチタスクが始まる。

 

 

洗濯機を稼働させ、軽食を取りながら大好きなバスケをテレビで観戦する。ニューヨーク・ニックスが負けている、彼らにとって今シーズンは調子が良いとは言えないようだ。

 

 

消費したエネルギーの補充が完了したところで、カフェに向かった。読書の時間だ。いや、プリンとコーヒーの時間ともいえる。

 

 

30分ほど読書とプリンとコーヒーの時間を嗜んだ後、お店を後にした。人気のカフェだったようで、退店した際には外に列ができていた。

 

 

そこから別のカフェに移動し、昨日受験を決めた試験の勉強を進めた。まだ2日目だ、やる気は底知れない。絶対に合格する。

 

 

勉強が佳境に差し掛かったところで、友人から電話がかかってくる。実は、僕にはほぼ毎日電話をかけてくる友人が一人いる。その彼からかかってくる毎日の電話が、僕の人間としてのコミュニケーション能力維持に大いに貢献していることは、隠しようもない事実だ。

 

 

電話の内容は、覚えておく必要性が皆無で他愛もないことしかない。これがある意味息抜きに繋がっているとも思う。

 

 

友人との電話を終えると、行きつけのカレー屋さんに足を運ぶ。一番よく食べるビーフカレーを注文。おいしい、しっかりカレーの味を堪能した。

 

 

来店したときには3組ほど他のお客さんがいたが、僕が食べ終わるころには、お客さんは僕だけになっていた。他のお客さんがいないので、お店の人たちと1時間近く談笑していた。

 

 

仕事の話、ペットの話、お酒の話、格闘技の話。面と向かって人と長時間話したのは、正直久しぶりかもしれない。電話ともまた違う、この感覚。僕にとっては、いつの間にか非日常になってしまったこの感覚。

 

 

やっぱり、人と対面で話すのは楽しい。この楽しさは忘れたくないかもしれない。

今日も最高の一日じゃん。

 

 

 

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宣言 #5

今日は短めに。一つ目標を決めた。

 

 

とある資格取得を目指すことにした。仕事関係の資格で、昨年も取得を目指したが断念したものだ。その時は、どうしてもその資格取得の必要性を自分の中で咀嚼できず、挑戦しなかった。

 

 

そうした背景があったのだが、改めて考え直し今後のキャリアに必要なものと捉え、勉強することに決めた。なにかに熱中したかったのかもしれない。

 

 

試験の日程だが、テストセンターのようなところで受験するため、こちらで日程を選択することができるタイプの試験だ。日程は3/18(金)に決めた。

 

 

3週間で仕上げる。急遽試合が決まったボクサーの気持ちだ。決めたのは自分なのに。

ここでもボクサーを気取りたいのかもしれない。一々かっこつけるなよ。

 

 

久しぶりに、自分の力で何か達成したい気持ちに溢れている。いい兆候なのかな。

 

 

体調 #4

近頃、医療費が嵩んで仕方ない。自身の不摂生が原因だろうか、そうは思いたくない。

僕は自分の食事内容や食のバランスをかなり重視するタイプだ。(昨日マック食ってたやつが何言ってんだ)(※マックに悪意は一切ない)

 

 

一年ほど前にボクシングを再開した僕は、一丁前に食生活からアスリートぶっている。お酒を飲むことを止め、極力競技に必要なものしか食べないような生活にシフトした。

 

 

話は逸れたが、やはり年を重ねるにつれて病院に行く機会も増えてきている。「病気は気から」という表現もよく耳にする通り、「気」が関係しているのかもしれない。

 

 

自分の生活の中で、この「気」と直接関係が深いものを探すと、「ストレス」というものは切っても切り離せないものかと思う。「ストレス」にも色々ある、「仕事のストレス」「人間関係のストレス」、はたまたこれらを包括的に表現した「人生のストレス」=「生きることへのストレス」とも言えるだろうか。

 

 

「ストレス」とは何だろう、直訳すると「圧」かな。つまり、「外部からの「圧」(刺激)によって、歪みが生じている状態」が「ストレス」を抱えた状態となるだろう。

 

 

ということは、「ストレス」を抱えやすい人間というのは、「刺激に対して歪みが生じやすい」ので「繊細」とか言われるのだろう。それなら僕も「繊細」な人間の一人だ。

 

 

あと書いてて思ったが、「歪みが生じている」状態って必ずしも悪い状態だけでもないのかも、と。生きてたらいい刺激をもらうことだってあるはずだ、それは「ストレス」とは呼ばないのだろうか。むずかしい。

 

 

ごちゃごちゃ考えるな、要は「気」を悪いほうに持っていくものが元凶で、それがなにかって話だ。僕にとっては例えば、「仕事の締め切りに向けた上司からの圧」がそれにあたる。心臓がキューっとつままれるような感覚、お腹はゴロゴロ鳴り出し、この世の終わりのようなマインドになってしまう。

 

 

ボクシングをやっていても、仕事ではこんな「豆腐メンタル」なのだ。職場にいる筋トレオタクがよくこんなことを言っている。

「筋トレしてれば、上司がどんなにウザくても、いつでもブッ飛ばせるという心の余裕が手に入る」と。

 

 

僕は最初面白いなと思ったが、よくよく考えてみると仕事で負けた相手に対して自分の得意な分野で張り合ってるだけで、ただのダセえやつじゃねーか、が結論だった。

 

 

仮に僕が上司とボクシングしても、僕が勝つのは当たり前だ。何も嬉しくない、当然の結果だ。つまり、こういうことだ。仕事で詰められたら、仕事で見返すしかない。結局、仕事のストレスは仕事で解消するしかないのだ。「目には目を、歯には歯を」ってか?ハンムラビ法典は偉大だな。

 

 

まあ色々書いてきたけど、健康第一。神社に参拝行ったときは、ほぼこれしか言わなくなった。それでも健康に支障をきたしているのは、あちこちの神社でこれを言うことで僕のあまりの神社ヤリチンっぷりに神様が愛想尽かした可能性が考えられる。

もしくは複数の神様が僕を取り合ってる最中で決着がつかず、僕にご利益が与えられていないというストーリーも想定の範疇だ。そんなわけねーだろ。

 

 

さーて、明日も耳鼻科に花粉の薬をもらいに行こーっと。

そういえば、この前パンチもらった胸骨も痛むなあ。こちらは外科かな?

 

 

 

趣味 #3

今日は祝日で仕事も休み、有意義な休日にしようという決意はいつもの土日と変わらない。

 

 

朝食を済ませ、最近始めたハンドドリップでコーヒーを淹れる。これはまだ趣味とは言えず、いわばブログと同じくらいの経験値しかない。完全な素人、ポケモンでいえばマサラタウンをうろちょろしている状態だ。

 

 

カフェに行って読書をする、最近の休日はもっぱらこればかりだ。カフェはしごもなんのその、カフェイン過剰摂取という言葉も頭の片隅にちらつくが止まる気配はなく、何かに取り憑かれたかのようにカフェに向かう。巷のにゃんにゃんOLに言わせると、「趣味はカフェ巡りです♡」といったところだろうか。

 

 

ただ今日はせっかく自分でコーヒーを淹れたので、それを嗜みながら読みかけの小説の続きに入る。お家カフェ開店だ。

 

午前中をお家カフェで過ごした僕は、家を後にした。昼は近くのカレー屋さんに入ってみた。初めて入るお店だった。店員さんがランチメニューを丁寧に説明してくれる。僕は辛いのは苦手なので、外でカレーを食べる際は必ず辛さを確認する。

 

僕「すみません、カレーの辛さは調整できたりしますか?」

店員さん「カレーの辛さは決まっているため、調整できないんですよ~」

僕「わかりました、ちなみにどれくらい辛いですか?」

店員さん「マイルドな辛さですので、あまり感じないかもしれないですね」

僕「わかりました、ありがとうございます。」

 

「マイルドな辛さ」ってなんだ?僕にはその言葉だけでは理解できなかったが、「マイルド」という言葉自体に悪い印象は持っていなかったため、きっと辛くないだろうと楽観視した。注文は完了したが、店員さんがまた戻ってきた。

 

店員さん「カレーにパクチーが入っていますが、大丈夫ですか?」

むむっ、パクチーか。。味にあまりいい思い出はないが、「デフォルトで入っているということはカレーの味に合うから入っている」のだろうと解釈し、返事をした。

僕「はい、大丈夫です!」

 

カレーが到着した。エスニックな色をしたチキンカレーだ、おいしそう!パクパク最初の二三口を口に運ぶ、とてもおいしかった。その後、ジワジワと辛さが襲ってきた。これがマイルドな辛さか、僕は普通に辛いと感じてしまっていた。

この時、カレー屋の店員さんに辛さを確認したこと自体間違いだったと反省した。彼らはきっとお店のカレーを食べ慣れているか、カレー好きで色んなお店のカレーを経験しており、辛さに対する抵抗力が僕のそれとは桁違いのはずだった。

 

パクチーのほうは、味に対する若干の抵抗感とカレーの味を上回ってくるパクチーの風味に感動を覚え、辛さに鼻をすすりながらカレーを完食した。僕は「辛さ」と「パクチー」という苦手なものを乗り越えたことで、人生における経験値を幾分か獲得したような気分だった。

 

食後のデザートプリンをおいしくいただき、お店を後にした。radikoで芸人さんのラジオを聴きながら、散歩がてら歩いて渋谷に向かった。

 

本屋で物色し終えると、歩き疲れたので少し駅から離れたところにあるカフェに向かった。幸い待つことなく、席に座る事が出来た。以前もお邪魔したことがあり、プリンがとてもおいしく熱々のコーヒーと共に感動した思い出があるお店だった。

 

今回もコーヒーとプリンを注文し、読書に入る。コーヒーは前回とは違う種類だけど、プリンも合わせてやっぱり美味しい。僕は色んなカフェで自家製プリンを堪能するうちに自宅でもプリンを作るようになった人間なのだが、自分で手掛けてみたからこそお店で提供している商品の凄さをより実感するようになった。実は僕、プリン作りも趣味なんです。へへへ。

 

コーヒー、プリン、小説、そして何より僕はカフェという空間が大好きだ。コーヒーを淹れる音や隣のお客さんの会話を小耳にはさみながら、本を読んだり外の風景を眺めたりしている時間がこの世で最上の時間かもしれない。至高だ。

 

帰り道、夜ご飯に何を食べようか考えていた。不意にマック食べたいなって思った。3か月に一回くらいの頻度で起きる衝動だ。共感いただけると思う。

 

家についてしばらくダラダラした後、モバイルオーダーで注文し家の近くのマクドナルドに取りに行こうと家を出た。そのタイミングでちょうど家の前を、手を繋いだ美男美女カップルが通りがかった。男女ともに長身でロングコートを着こなし、反対の手には流行の?巾着袋のようなバッグを持って歩いている。一日デートして夜ご飯のお店に行く途中だろうか。

 

奇しくも、彼らもマックのある方向に歩を進めており、格好としては僕が彼らの後を追うような形になっている。その時僕は、一日デートを楽しみかつこの後も夜ご飯を食べに行くであろう華やかなカップルと、マックのモバイルオーダーを受け取りかつそれをお供にブログに勤しむ僕自身、を客観視し対比してしまいなんだかやるせない気持ちになった。

 

そのまま彼らの後をついていくと、今度は反対方向からマックの袋を持ったカップルが仲良く手を繋いで向かってくるではないか。僕はさすがに笑ってしまった。あまりに綺麗な対比構造だけがその理由ではなく、うまく言葉にできないがセリフにすると、「おもしれえじゃん」といったどこか挑戦的な笑いも含まれていた。

 

よくよく考えてみたら、今日の僕は朝から一日、自分の好きなこと・趣味と呼んでることだけをひたすらやり続けることができた。最高に幸せな一日じゃんか。パートナーがいる生活からは、また一歩遠のいたかもしれないけれど。

 

 

そんなことを考えながら、今日もブログを書く。マックのポテトを頬張りながら。

 

 

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見栄 #2

ブログを始めて二日目。僕の生活ルーティンに新たに加わろうとしているこいつの存在感を随所に感じた一日だった。

 

「今日は〇〇について書こうかな」「△△に対する考えを書こうかな」といった様に、ブログに書きたい内容を探している自分がいた。ダメだ、これではタスクになってしまう。

 

昨日の末尾で「無理なく続けていきたい」と考えていたのに、すぐに「義務」のように感じてしまう。これは僕の悪い癖だ。どんな物事に対しても一度義務感を感じてしまうと、自分で無意識のうちにやり遂げなければいけないという圧力をかけ、精神的に自分を追い込んでいく。このやり方で仕事で心を病んだことがあるにもかかわらず、だ。

 

しかも厄介なのは、自分の中では圧力に負けるのはダサいこと・格好悪いことだと考えているため、周囲には自分はプレッシャーに強い(ストレスに強い)ふりをしながら生きていることだ。だから本当はやりたくない仕事だとしても、「辞めるのは逃げ」だとか「こなせないのはダサい」といった考えが根底にあり、今日もやりたくない仕事を続けている。

 

「見栄」って恐ろしい。(ここでは、「承認欲求」という言葉に置き換えてもいいかもしれない。)20代後半になるにつれて、そう感じるようになってきた。

 

学生時代は高校や大学の偏差値、社会人になってからは給料や社会的ステータスといった指標で周りからは評価される。この風潮が僕はそもそも好きではないが、このような指標で評価される世界で人生の多くを過ごしてきたため、簡単には抜け出せなくなっている。

 

今僕がやりたくない仕事を続けているのも、そこそこの待遇の良さと、一般的に大企業と呼ばれる会社に勤めているという社会的ステータスがあるから、にすぎない。(ついでに親に口うるさく言われることもなくなる。)つまり、僕はいま他者の評価指標で生きていて、これを維持するためにつまらない「見栄」を張って生きている。

 

よく、「自分のやりたいことやりなよ」という言葉を気軽に投げかけてくる人間がいるが、他者の評価軸に沿ってアイデンティティを構築してきた人間が、急に「自己の評価軸に沿って生きろ」と言われたら自己の崩壊を招く。思考から他者の評価を気にしたものになっていく癖がついてしまっているのだから。

 

おそらく、今すぐ生き方を変えるような無茶は僕にはできない。僕は万全を期すタイプの人間だから。少しずつ他社の評価軸から離れる努力をしようと思っている。あと、「くだらない見栄」を張るのをやめようと心に決めた。

 

僕が「くだらない見栄」と呼んでいるのは、「自分自身を等身大以上に見せること」だ。これをやめる。あらゆるシーンにおけるマウント、承認欲求に端を発した言動・行動、等々だ。

 

元々、これらを表立って見せびらかすような「歩く承認欲求満たし人間」であったわけではないし、そーゆー会話が好きな人間ではないことだけは、言わせてほしい。年収、車、ハイブランドな装飾品、家、女性関係、全てどうでもいい。(これは、決して「見栄」を張っているわけではない。決してだ。)

 

 

テーマは、等身大。これを今年の目標にしていこうと決めた。

 

今日もコメダシロノワールがうまい!

 

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初回 #1

今日からブログというものを始めてみることにした。誰かに向けたものではないけれど、自分の思考や行動を記録できる場所として。

 

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今朝の目覚めは、人生ワースト3に入るといっても過言ではないくらい酷い目覚めだった。理由は簡単で、前日夜に服用した下剤の効用で強烈な腹痛を引き起こしていたからだ。

 

布団から出ても地獄は続く。トイレに入り浸り、全身から汗を噴き出しながら腹痛・吐き気と戦った。まだ冬の寒さ全開の早朝から大汗かいている状態を鑑みても、大袈裟でなく、「おれ、死ぬのかな?」とも思った。子供の頃よく遊んだポケモンゲームで戦いに敗れたときに表示される「めのまえがまっしろになった」というメッセージが頭をよぎる。本当に視界が見えなくなるのだ。

 

かれこれ30分以上腹痛と戦い、憔悴しきっていた僕は次に悪寒と戦っていた。この後さらに下剤を2リットル飲まなければならない現実に嫌気が差していた。

 

そもそも僕が下剤を飲んでる理由は、今日大腸の内視鏡検査を受けることになっていたからだ。原因は数か月前から定期的に起こる排便中の下血で、潰瘍性大腸炎を疑われていた。病院での検査のため、会社では休暇を取得していた。

 

通院の11時まで、下剤を飲みながら(薄い梅の味がする)、好きな芸人さんのラジオをradikoで聞き、小説を読み進め、何度もトイレにいった。かなりのマルチタスクだ、仕事は一つも含まれていないけれど。

 

10時になったところで、年に一度のNBAオールスターゲームを見始めた。NBAとはアメリカのバスケットボールリーグのことで、もう15年程見続けている僕の最も好きなスポーツリーグである。今年の開催地はオハイオ州クリーブランドNBAを代表するスーパースター、レブロン・ジェームズの出身地でもある。

 

バスケ視聴を楽しんでいると通院の時間がやってきたので、覚悟を決めて病院に向かった。病院で受付を済ませ、ほどなくして自分の名前が呼ばれた。検査着に着替えて、トイレを済ませ、診察台に寝る。検査着はかなり薄く、朝から続いていた悪寒を増長させる。

 

そのうち看護師さんに脈拍を数えられ、点滴の針を腕に刺された。人生で何度か手術は経験したことがあったが、何度経験しても始まるまでの独特の緊張感は慣れない。そして先生が登場し、横向きになるように指示された。いよいよ始まる。

 

看護師さんが鎮静剤を入れるというので、僕は何としてでも耐えてやろうと思っていた。僕は昔からそうだ。以前全身麻酔した時も、どこまで耐えられるか競った。もちろん勝てる見込みはないし、むしろ勝ってはいけない勝負なのに。

この気持ち、わかりませんか?

 

目を開けててください、と看護師さんに言われたのでずっと目を開けて我慢していた。だが、次に意識が戻ったのは検査後に起こされた時だった。今回も完敗、きっと格闘技の試合でKO負けしたときはこんな感じなんだろうなあ、と思った。

 

着替え終わり、先生に検査の結果を聞いた。結果は潰瘍性大腸炎ではなさそうとのことだった、はっきりとした症状は現時点ではわからず後日詳しく説明されるみたい。ひとまず終わった。

 

帰り際先生に運動の可否も尋ねた。

 

僕「先生激しい運動はダメですか?」

先生「具体的には?」

僕「ボクシングです」

先生「一般的には控えてと伝えているが、様子見て自分と相談して決めていいよ」

僕「わかりました、ありがとうございます。」

 

僕は心の中でニヤッと笑った。なぜなら今の僕にとっては一番の息抜きであったし、この検査をする上で一番の懸念が検査後一週間近く運動ができないことだった。そのハードルがクリアになった、それだけで憔悴しきっていた僕に力を与えた。

 

病院を出るとすっかり午後になっていたが、とても天気が良かった。スーパーで今週の食材を買い込み、家に帰って本日初の食事に抜擢されたのは「うどん」だった。

 

朝食?昼食?を食べ終え、昨晩始めようと思っていたブログを書き始めた。

 

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「無理なく続けていきたい。」が率直な本音です、またね。